中国の俳優、張譯(チャン・イー)が気になった人のための基本情報まとめ
中華圏映画・ドラマを追うこと10年余、基本キャラ推しで特定の俳優に深くハマることはなかった私がこの1年で異様なハマり方をしているのがタイトルの人です。
しかし、中国国内では実力も人気もトップクラスのベテラン俳優であるにも関わらず、日本での知名度が皆無で日本語情報が全然ない。これでは、いつかどこかで「この人いいな…?」となった方が露頭に迷ってしまう!というわけで、基本情報が一通り分かる場所を作っておきました。色々未完成なので随時更新していきます。3年に1人くらい引っかかってくれたらいいな…。
基本プロフィール
张译|張譯|Zhang Yi|チャン・イー
1978年2月17日 中国黒龍江省ハルピン生まれの俳優。身長178cm。
中国人民解放軍北京軍区戦友話劇団での約10年の下積みを経て、2006年に大ヒットした軍隊ドラマ『士兵突擊』への出演をきっかけにブレイク。その後も『我的団長我的団』『生死線』『辣媽正伝』など多くの人気ドラマに出演。徐々に映画に主戦場を移し、ピーター・チャン監督『最愛の子』(2014年)、ジャ・ジャンクー監督『山河ノスタルジア』(2015年)など一流監督の作品で存在感のある脇役を演じる。『最愛の子』では国内三大映画賞のひとつである金鶏奨で助演男優賞を受賞した。
2018年、主演を務めたダンテ・ラム監督『オペレーション:レッド・シー』が興行収入36億元の大ヒット。2019年からは巨匠チャン・イーモウ監督作に4年連続で出演、うち2作で主演するなど著名監督作で次々と主役級に抜擢され、2020年には史上6人目の興行収入100億元(約2000億円)俳優となる。2021年には『崖上のスパイ』で金鶏奨の主演男優賞を受賞。続けて2022年には同作品で百花奨の主演男優賞、2023年に『我和我的祖国』で華表奨の主演男優賞を受賞し、国内の三大映画賞の主演男優賞を全て制覇した。
生い立ち
1978年、黒龍江省ハルビン市で教師である両親のもとに生まれる。本名は張毅。母親が「毅力(強い意志・忍耐力)のある子に育つように」と名付けたが、後に「自分には“毅力”はないので。」ということで「張譯」に改名した。幼少時の愛称は「欣欣(シンシン)」で、今もファンからの呼称として使われている。じっとしていない性格で、自分が世界の中心にいないと気が済まず、何かとトラブルを起こすやんちゃな子どもだった。
幼少時からの夢はアナウンサーで、就学前には既にラジオから聞こえるアナウンサーの口調を真似て朗読をしていた。高校2年時、アナウンスを学ぶ大学の最高峰である北京広播学院(現在の中国伝媒大学)の実技試験に参加し、見事合格する。しかし当時まだ高校2年生だたっため高考(日本の共通一次試験にあたる)を受ける資格がなく、入学を断念。高校3年時も実技試験を問題なくクリアし、高考の点数も合格基準を超えていたが、思わぬ外部原因で不合格となってしまう。当時ハルビンからの入学枠はたった2枠だった。
キャリア
北京軍区軍友話劇団
受験に失敗し落胆していたところ、父の勧めでハルビン話劇学院の研修クラスに通うようになった。当初は演技に全く興味がなく渋々通っていたが、いくつかの素晴らしい演劇を見てその魅力に目覚め、半年後には演劇学校に入るため単身北京に乗り込む。しかし、容姿が秀でている訳でもなく、人脈も皆無の状態で、北京で受け入れ先を見つけるのは容易ではなかった。生活費も底を尽き、一袋のインスタント麺を数日かけて食べる生活をしていた頃、友人の紹介で北京軍区戦友話劇団の募集があることを知り、1997年に自費生として入団。こうして正式に演技を学ぶ機会を得ることになった。
しかし、戦友話劇団でのキャリアも順調ではなかった。演技の才能も容姿も平凡で、役者を志す若者が集まる劇団内では目立つ点がない張譯はなかなか出演機会に恵まれず、やっと手に入れたチャンスにも実力を発揮できず、記録係やナレーションなどの裏方を務めることが多かった。
2001年には幹部に昇進したが、上司は彼の字の美しさを買って、公式文書を作成する事務系のキャリアを歩むよう勧めた。自分はあくまで演技がしたいと伝えても、「向いていない。」と取り合ってもらえなかった。
何とかチャンスを得るべく、余暇を利用してドラマの撮影チームに売り込みに回ったが、まともな役がもらえることは殆んどなかった。気付けば27歳になり、陳建斌主演の『喬家大院』に使用人役として出演した際、張譯の年齢を知った監督に「28歳で役者として芽が出なければ、諦めたほうがいい。」と言われた。年齢的にも崖っぷちであることを悟らずにはいられなかった。
出世作:士兵突撃への出演
そんな時、軍友話劇団の舞台作品であった『愛爾納突擊』がドラマ化されるという知らせを耳にする。この作品に惚れ込んでいた張譯は、何としても出演したいと3000文字以上になる手紙を制作スタッフ宛に送り、主人公を教え導く班長という重要な役に抜擢された。しかし雲南での撮影に参加するにあたり上司からの許可が降りず、「出演したければ、軍を去る以外方法はない。」と告げられる。悩んだ末に「後悔したくない。」と退役申請を提出し、ドラマの撮影に参加した。
『士兵突撃』というタイトルで2006年末にひっそりと初放送されたこのドラマは、徐々に口コミで話題となり、2007年には全国規模で異例の大ヒットとなった。これに伴い、張譯という役者の名前も全国の視聴者に知られることになった。
ドラマから映画へ、脇役から主役へ
『士兵突撃』のヒット後、徐々にテレビドラマで主役級で出演する機会が増えていく。戦争ドラマの最高傑作として名高い『我的団長我的団』(2009年)では主役で語り手となる孟煩了を演じ、高い評価を受けた。2012年にヒットした『北京愛情故事』、『宮廷の諍い女』のスン・リーと共演した『辣媽正伝』(2013年)など、軍隊ドラマからコメディタッチのものまで様々な個性のキャラクターを演じ、2016年の『鶏毛飛上天』では三大ドラマ賞の一つ、白玉蘭奨の主演男優賞を獲得した。
映画にも活躍の場を広げ、2014年にはピーター・チャン監督『最愛の子』に出演。ベネチア映画祭でレッドカーペットを歩き、国内三大映画賞のひとつである金鶏奨で助演男優賞を受賞した。その後もジャ・ジャンクー監督『山河ノスタルジア』(2015年)、曹保平監督『追凶者也』(2016年)など、著名監督との仕事が増えていく。
2018年には香港のダンテ・ラム監督による戦争アクション大作『オペレーション:レッド・シー』に主演。撮影中に負傷するなどモロッコの過酷な環境での撮影だったが、最終的に興行収入36億元という空前の大ヒットを果たした。2020年には巨匠チャン・イーモウ監督『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』に出演。強制労働所からの脱走犯という役柄を演じるため短期間で10kgの減量をした。その演技に対する姿勢はチャン・イーモウ監督作にも認められ、2023年まで4年連続で監督作品への出演を果たしている。
2020年には史上6人目の興行収入100億元俳優となった後、2023年10月現在ではその数字を216億元に伸ばし、全俳優中第5位。2023年1月には社会現象になるほどヒットしたドラマ『狂飆』に主演。同じタイミングで公開されたチャン・イーモウ監督作『満江紅』も中国歴代興行収入第6位となる45億元の大ヒットとなり、2作品で全く違う魅力的な役柄を演じた張譯という俳優にも自ずと注目が集まった。この2作品をきっかけに特にZ世代の若年層ファンを爆発的に増やし、人気の面でも今や「叔圈(イケオジ界隈)」を代表するアイドル的人気俳優となった。
出演作品
日本公開作品
映画(原題・監督・日本公開年)
- 赤い星の生まれ(建党伟业 ハン・サンピン監督 2011年)※映画祭のみ
- 黄金時代(黄金时代 アン・ホイ監督 2014年)※映画祭のみ
- 最愛の子(亲爱的 ピータ・チャン監督 2016年)
- 山河ノスタルジア(山河故人 ジャ・ジャンクー監督 2016年)
- ロクさん(老炮儿 クァン・フー監督 2016年)※映画祭のみ
- わたしは潘金蓮じゃない(我不是潘金莲 フォン・シャオガン監督 2017年)※映画祭のみ
- 修羅:黒衣の反逆(绣春刀II:修罗战场 ルー・ヤン監督 2018年)
- オペレーション・レッド・シー(红海行动 ダンテ・ラム監督 2018年)
- 帰れない二人(江湖儿女 ジャ・ジャンクー監督 2019年)※カメオ出演
- 愛しの母国(我和我的祖国 チャン・イーバイ監督等 2020年)
- 愛しの故郷(我和我的家乡 シュー・ジェン監督等 2020年)
- クライマーズ(攀登者 ダニエル・リー監督 2020年)
- 僕らが空を照らしたあの日(燃野少年的天空 チャン・イーバイ監督 2021年)※カメオ出演 ※映画祭のみ
- バトル・オブ・ザ・リバー 金剛川決戦(金刚川 クァン・フー監督 2022年)
- ワン・セカンド 永遠の24フレーム(一秒钟 チャン・イーモウ監督 2022年)
- 崖上のスパイ(悬崖之上 チャン・イーモウ監督 2023年)
- 満江紅(满江红 チャン・イーモウ監督 2023年)※映画祭のみ
ドラマ(原題・日本初放送年)
- 刑事チン 孤独の捜査(重生 2021年)
- 狂飆<きょうひょう>-End of the Beginning-(狂飙 2024年)
プライベート
猫
無類の猫好きで、多い時で7匹の猫を飼っていた。そのほとんどが保護猫や友人から譲り受けた猫。運転中に車に轢かれて亡くなった猫の遺体を見つけると、保護して近くの土のある場所に簡易的に埋葬をするのがライフワークになっている。
2010年には猫に関する知識普及や野良猫の保護推進のためのウェブサイト「果子連盟」を開設し、実際に多くの猫を保護した。中国の質問サイトである知乎でも猫飼育のスペシャリストとして様々な質問に回答している。また、役者として演技の硬さに苦労していた頃、カメラを向けられた猫たちの自由な感情表現を観察し、実践することで自然な演技ができるようになった。役者として成功できたのは猫のお陰だとも話している。
家族
実家は両親と年の離れた姉の4人家族。母方・父方どちらの祖父も20世紀初頭に"闖関東"と呼ばれる民族移動で山東省からハルビンに移民した山東人で、張譯も何度か山東省の親戚の元を訪れている。
2006年に中国人民広播電台のアナウンサーだった6歳年上の銭琳琳と結婚したが、2人で公の場に現れたことはない。
エピソード
- 軍友劇団に入団して間もなく、恋人ができた。当時劇団内での恋愛は禁止されていたが、上官の目を盗みつつ愛を育んだ。しかし彼女の両親から結婚を反対され、結局別れざるを得なくなってしまう。2004年、その元恋人が交通事故に遭ったと彼女の両親から連絡があった。張譯も現場に駆けつけたものの、病院に到着する頃には意識がなくなり、そのまま植物状態となってしまう。その後も度々病室を訪れ声をかけ続けたが、2014年に亡くなった。
- 乗客238人中171人が亡くなった1985年のハルビン818客船沈没事故の際、毎週末家族で太陽島に遊びに行っていたにも関わらず、この時だけ何故か動物園に行きたいと激しく駄々をこねたため、難を逃れた。
- 疫病神キャラとして有名で、子供の頃に行った託児所、幼稚園、小学校はすべて廃校になり、10年間所属した北京軍区の軍友劇団も組織改編で消滅した。「張譯の触った車は事故る。」というジンクスもあり、実際に共演者の車がぶつけられたり廃車になったりしている。
- 初代からのiPhone使いで、一時600個のアプリを種類ごとに整理して入れていた。
- 2006年にはブログを開設、中国の掲示板サイト「百度貼吧」の『士兵突撃』スレッドのスレ主を務めるなど早い時期からインターネットを使いこなしており、当時の文章はまだインターネット遺跡として残っている。
- 中国の公用字体である簡体字でなく繁体字でサインを書く。私塾に通っていた祖父の影響だと話している。
- 文章を書くのが好きで、2013年にはそれまでのブログ記事などをまとめたエッセイを出版している。
情報収集に使えるSNS・書籍など
- 本人微博(Weibo)
- 事務所微博(Weibo)
- 微博のファンコミュニティ(超話)
- 豆瓣(中国のエンタメ評価サイト。過去の作品一覧が見やすい)
- 本人エッセイ『不靠譜的演員都愛説如果』(絶版のためAmazonなどで中古品を探す必要あり)
- 百度百科(中国のWikipedia)
- 知乎(中国のQuora 様々な投稿あり)
- 新浪ブログ(2006年から2010年まで200記事ほど)