吳青峰と蘇打綠に起こったこと【2021年5月11日吳青峰微博全訳】
C-POPや台湾に興味がある方は最近「吳青峰が著作権の問題で起訴され、裁判をしている」「蘇打綠Sodagreenという名前が商標権の問題で使えず、バンド名を変更した」といったようなニュースを目にしたことがあるかもしれない。
私も友達と話していて青峰の名前を出すと「なんか裁判してるよね?」と聞かれることがあった。恐らくそこまで興味がない人は何が起こっているのかよくわからないだろうし、ひょっとして本当に青峰が何かヤバいことをしたのかと誤解している人もいるのでは?とずっと不安だった。ただ、裁判のニュースから漏れてくる情報だけではなかなか全貌を掴めず、どう伝えれば良いのか悩んでいた。
そんな中、既に2年続いている長い裁判で初めて原告・被告双方が法廷に上がった5月11日の夜、青峰本人がSNSでそれまでの経緯を公表した。これの翻訳をもって現状説明としたい。
前置き:蘇打綠と林暐哲氏
林暐哲氏は2003年の海洋音楽フェスティバルで蘇打綠を発掘し、デビューさせた人物である。その後プロデューサーとしてずっと蘇打綠だけをプロデュースし続けてきた。林氏がいなければ「インディーズバンドの奇跡」といわれる今の蘇打綠は存在しない。
2016年、同年の年末をもって蘇打綠が活動休止することが発表された。ボーカルの吳青峰はバンド活動休止中の2018年からソロ活動を開始したが、2018年12月31日、蘇打綠のデビュー以来共に歩んできたプロデューサー林暐哲氏との契約関係を終了し、独立する旨を連名で発表した。リラックスした自然体の2ショット写真を添え、「息子の独り立ちを見送る父親のような気持ちで名残惜しいが、今後何があっても支持する。」といった趣旨の、円満な契約終了を印象づける内容だった。
その後吳青峰が1人で活動を始め、中国の大型歌唱バラエティ番組《歌手》の決勝を控えた2019年春、林暐哲が突如青峰に対し訴訟を起こした。その内容は一部のファンの間で噂されていたが、本人が話さない以上は詮索すべきでないというのが大多数のファンの思いだった。ただ《歌手》の決勝やその後の野外フェスでの青峰の様子等から、「何かあった」ことは皆気付いていた。2019年秋になり、初のソロツアー〈太空備忘記〉が始まる直前には訴訟のニュースが大きく出るようになった。それからこの事を多くの人が知るようになり、今に至る。その間に起こっていたことは、以下の声明文で話された通りである。
2021年5月11日微博全訳
「伝えたいことは全て2枚目に。」
https://m.weibo.cn/status/4635795736239451
2004年、〈小情歌〉の歌詞にこう書いた。 「私は“歌頌者”にとても向いていると思う。」 2019年、この歌詞から派生して〈歌頌者〉を書いた。「歌頌者」の三文字は、私が〈小情歌〉から自ら引用したものだ。今日、彼はこの「歌頌者」の三文字は自分の与えたアイデアだと言った。 信じられなかった。
この件が起こって2年、法廷以外の場で公にこの事を話したことはない。 なぜこんなことが起こったのか、ずっとわからなかった。誤解であってほしいと願い続けてきた。 同時に、語らないことが、かつて実の父のように思っていた人への最後の尊重であり、寛容であり、彼を守ることだと思っていた。しかし、実際にはこれらの希望は、ひとつ、またひとつと潰えていき、 とうとう絶望するに至った。 そして、私のことを気にかけてくれている皆さんに、一度しっかりとこの件を説明しなければならないとも思った。
経緯
私と林氏は、2008年に楽曲の著作権ライセンス契約を結んだ。元々は2014年に終了予定だったが、林氏を信頼していたため、2018年末まで自動的に延長した。
2018年9月20日、私と林氏は彼の家で面談し、私は「自分ももうすぐ40歳。ずっと人生は無常だと感じてきた。万が一自分が急に死んだ時に家族に何も残らないのは怖いので、著作権を手元に戻し、自分で管理したい。」と伝え、彼も同意した。
10年以上のお互いの信頼関係を考え、顔を合わせて口頭で伝えるのが、より相手を尊重したやり方だと思っていた。10月26日にこの件に言及した内容証明郵便を送ったが、その時も驚かせないよう事前にLINEでその旨を伝え、彼も問題ないとの意向を示した。
続く12月6日、私達は「契約終了協議書」に署名し、双方の弁護士立会いの下、楽曲の著作ライセンス契約の終了を確認し、また10月26日に送った書簡の内容も協議書に追加し、「全て要望通りに」という形で同意を示した。林氏は自らユニバーサルの著作権マネージャーに電話し、今後私が自ら著作権を管理することを伝え、「12月31日までに、これらの著作権移動対象に君が自分でやようにることを周知する。」と私にメッセージを送った。
私は静かに幕を引きたかったが、林氏は12月31日に声明文を公開し、今後私が自分で仕事をすることを対外的に公表するように求めた。私の記憶では、彼はずっと「穏便に処理しよう。きれいに別れよう。」「私たちが模範になり、芸能人と事務所が仲違いせず契約を終えることができると世間に伝えられると良いね。」と言っていた。その後、契約打ち切りの声明を公表もした。私達の間にまだ何か契約関係がある可能性など、全く疑いもしなかった。
2019年4月になり、彼から突然内容証明郵便が届いた。私はとても狼狽した。それまでテレビ番組で何度も自分の作品を歌っていたが、彼から何の反応もなかったのに。 郵便を受け取ってから連絡し続けたが、電話には何日も出ず、あらゆるメッセージアプリを使って連絡したが返信はなく、メールを送って初めて「楽曲の著作ライセンスはまだ私の元にある。」という旨の返信があった。
ほどなく、林氏は私に対して仮処分、民事訴訟、ひいては刑事訴訟の話まで持ち出した。さらに私の創作した楽曲名を横取り商標登録した。 私の弁護士は苦笑いしながら言った。 「フルコースを送ってきたね。」
10月、訴訟の提起後初めて林氏と顔を合わせた。検察官が和解を後押しすべく「もし和解するとしたら、あなたの条件は何ですか?」と尋ねると、彼は「青峰が蘇打綠に書いた全ての楽曲の権利を貰いたい。私は蘇打綠との美しい思い出を残しておきたいんだ!」と答えた。検察官はすぐに返した。「その要求は案件範囲外だ。吳青峰を訴えておきながら今また蘇打綠の要求をする。私でも無理難題だと思うのに、彼に承諾できるはずがない。美しい記憶などと綺麗事を言うのはやめてください。あなたが欲しいのは違うものでしょう。それに訴えた時点でもう美しい記憶ではない。」
その後再び法廷外での和解交渉を試みたが、彼の要求は依然として「蘇打綠の全ての楽曲のライセンスを継続して保有し、本人の許可なく使用できること。」であり、さらに私に対して「君の曲をどう利用すれば一番良いか、分かるのは私だけだ。」とも言った。そもそも訴訟の発端は〈歌頌者〉一曲のはずだったのが、和解の条件は「蘇打綠の過去と未来の楽曲」である。過去の100曲近くに加え、未来のまだ書いていない曲まで? これこそが目的だと疑わずにいられるだろうか?
度重なる絶望
何度かの出廷と報道で、この事が少しずつ世間に知られるようになってきた。しかし、皆さんが目にしたのは、実は氷山の一角でしかないのだ。この2年、私は数えきれないほどの書状を絶えず受け取ってきた。数週間に一度、ときには何十ページにもなった。法律について語るべき書状は、どんどん不条理で、攻撃的で、感情的なものになっていった。皆さんがたまに報道で見かけて憤慨したような内容に、私は日々傷ついていた。
契約解除に合意し、大人しく自分の楽曲を歌っていたことが「法規を無視し、自らの権利を際限なく拡大しようとした。」と表現された。 彼が私に隠れて結んだ契約を引き継ぐことを、こちらが契約に違反し、無理な条件を強要したように言われた。
創作者であり著作権者である側が、権利を与えている先から「汚い手」と言われた。 開廷中に過去を思い出して悲しんだことが、「その横柄で自惚れに満ちた傲慢な振る舞いと、前回の法廷での同情を誘うようなイメージは全く正反対で、まるで別人のようだ。」と描写された。
高雄でのコンサート時に、ファンの間で「自分の歌を歌えないのでは」という噂が立った際は、「作者が自分の歌を歌えない」という悲劇をもって世間の同情を買い、コンサートの注目度を上げるための宣伝方法」だと言われた。
中文学部の卒業生である私に対し「メールの文章をそんなに曲解するとは」とも言った。
林氏の当時の弁護士までもが「3つの契約が全て終了していることは明らかだ。」と証言したのに対し、林氏側は「ひたすら我慢、譲歩して彼の望み通りにしたのだ。」「まったく空いた口が塞がらない。」と言ってみせた。
林氏側の弁護士は仮処分申請をし、私が4年4ヶ月間、自分の楽曲を使用しないよう裁判所から命ずることを求めた。彼らは私の楽曲使用権を凍結することについて「大きな影響はない」と言った。我々はこれに対抗するため、《太空人》の売上や過去の記録を提出した。その時の彼らの回答は「売上額が高いからといって著作権侵害に耐えるべきだと弁明している云々…またそのことで得意な顔をしている…金を持っていい気になっている人間が自由に著作権を踏みにじり、法的責任を取らなくて良いわけがない。」「小情歌は決して有名な曲ではない。また“吳青峰”と密接な関連もない。小情歌の再生数はたった1619万回しかない。あまりに自己を課題評価しすぎである。」「無與倫比的美麗の再生回数は1019万回しかない。」等々、私の作品を凍結することは、この創作型の歌手にとって、大きな影響はないと弁明した。
このような発言は2年間続き、今挙げたものも氷山の一角にすぎない。これが書状を書いた林佳營弁護士、張志明弁護士の発言なのか、林氏本人の発言なのかは私にはさっぱりわからない。しかしいずれにせよ、たとえ弁護士の意向だったとしても林氏の同意を得ているはずで、林氏自身の意向だったとしても、結局は弁護士が書いたものなのだ。
このような発言が出るたび、これが嘗て実の父のように思っていた人の発言だということが本当に信じられなかった。ずっと彼を一心に信じ、恩返しをしてきた私はどうしてこのような仕打ちを受けなければならないのだろう?契約を打ち切ったというだけで、十数年間の友情は重要でなくなるのだろうか?かつて彼が言っていた「家族」「パートナー」、ことある事に口にしていた「綺麗に別れよう」という言葉は全て嘘だったのだろうか?
ネット上では一部を切り取っただけの弁護士が「青峰のミスは3ヶ月以上前に書面で契約更新しない旨を表明しなかったこと」と意見を述べているが、彼らは我々のマネジメント契約に著作権条項が含まれていることを知らない。2018年12月に私と林氏が結んだ「契約終了協議書」は「楽曲の版権、マネジメント、レーベル」の3つの契約を終了しており、これの写しが即ち契約終了の書面通知にあたる。この点については民事の判決でも「今後契約の修正や切替を行う場合、当年12月31日の3ヶ月前に行う必要はない。」と述べられている。
前回の法廷での林氏の当時の弁護士による証言には大変驚いた。2018年の契約終了時、林氏に3つの契約について尋ねたところ、彼は「版権についてはとっくに話がついていて争いの余地はない。他の2つの契約は仕事の引き継ぎがあるから、特に細かく書かなければいけないよ。」と答えたという。林氏は弁護士にマネジメント契約書とレーベル契約書を渡し、「版権の契約書は見当たらない。」と言った。驚いたのは、私は林氏が契約書の全てを経理の張さんに預けて保管しているのを知っており、彼が「契約書が見当たらない。」と言った同じ週に、張さんにその契約書を見せてもらっていたからだ。「見当たらない」わけがない。 この一言で、「もしかして当初からそのつもりだったのか。」という疑いを持たずにいられなくなった。
前回の法廷で私は図らずも泣いてしまった。証人(※訳者注:林氏の当時の弁護士)の証言の中で、多くの思い出したくない過去が事細かに語られたからだ。「林氏は私がテンセントとの契約を認めず、違約することを心配していた。」という内容も含まれていた。しかし、証人すらも「私は林氏が望むものは全て受け入れます。」と答えた私に驚いたという。私はかつて林氏に「今後プロデューサーとして招くことはできるか。」と尋ねたことがあるが、「離れるなら、きっぱり関係を経った方がいい。」と拒否された。契約終了協議が終わったあと、私は林氏の手を取り、『一緒に仕事をするつもりがなくても大丈夫、僕達は家族にもなれるよ。』とすら言った……これらの数々の証言を聞いて、私もさすがに感情を抑えられなかった。
私が泣いたのは同情を勝ち取るためではなく、本物の情があったからだ。人生で二度目の「父親を失う」経験をしたが如く、ここに至って完全に絶望したからだ。全てを彼のために考えてきたのに、最後にこのような結果が待っていたからだ。そしてこれらを明らかにしたのは「当時の相手方の弁護士」だった。本当に皮肉なことだ。
全ての創作者に伝えたいこと
この件が始まった時、私は《歌手2019》決勝戦で『歌頌者』を歌うためにもがいているところだった。周囲の人に何が起こったかは話さず、毎晩ホテルに戻って1人で泣いていた。
実を言うと、初めは弁護士に「きっぱり負けを認めてはだめなのか?彼が金銭目的なら言う通りにあげようよ。お金を払って、人をちゃんと見極めなくてはという教訓にして。彼のために人生を無駄にしたくない。」と聞いていた。辛かったが、この事で精神を浪費したくなかった。彼が今まで他の対象に対して起こしてきた裁判を思うと、彼はいつも最後まで執着してくる。そして1人の創作者である私にとって、人生の無常さを感じたからこそ、生命力・時間を大切にしたいからこそ版権を手元に置きたいと思ったはずが、逆に訴訟によって多くの時間が無駄になろうとしている。この時間を歌を創る時間に充てることができたら、どんなに良いだろうかと思った。
しかし、弁護士は言った。「あなたは初めて自分の書いた歌を歌って訴えられた人だ。前例がない。もしあなたが最後まで徹底的に戦わなければ、今後同じ境遇の創作者を害することになる。」と。だからこそ、将来同じ事に向き合うことになる会ったこともない創作者のために必死に向き合っている。同時に、蘇打綠の楽曲を奪うことが彼の目的だとはっきり分かった以上、私は蘇打綠の6人が十数年の心血を注いだもののために戦わないわけにはいかない。
私たちは幼い頃からずっと「師を敬い、師の教えを重んじよ」「忍耐は美徳」と教えられてきた。しかし、私はこの教えを守りすぎてしまったばかりに、恩義を感じているからと今まで一切疑いを持たず、盲目的に信じ続けた結果、こんな状態になってしまった。 「師を敬い教えを重んじる」や「恩義に感謝する」ことに関して、私は今までずっとベストを尽くしてきたと自認している。疚しいことは全くない。感情の面でも実際の収益の面でも、既に百倍、一万倍と恩返しをしてきたと思っている。しかし間違いに直面した時、無条件の「忍耐」は美徳ではなく、ただ甘やかすことでその人をダメにしてしまう。最終的に自分が食い潰されることになるだけでなく、他人にも害を及ぼすかもしれない。ひいては愛する母親や家族が傷つくのを目の当たりにすることになる。
全ての若い創作者は必ず最初にしっかり契約書を確認しておいて欲しい。恩義を感じること、恩返しをすることは当然のことだ。しかし一方で、自分を守ることはもっと当然のことなのだ。もしあなたが契約する「先輩」が誠実な人なら、自分の権利を合理的に追求したからといって激昂することはない。全ての創作者は自分をちゃんと守ってほしい。私のように攻撃を受け、人生の時間を無駄にすることがないようにしてほしい。
自分にこんな大きな変化が訪れるとは思ってもいなかった。また驚いたことに、法律が守るのはときに「正しい人」や「善良な人」ではなく、「法律をどのように利用するか知っている人」なのである。創作がときに一種の原罪になり、自分の作品を奪われないためにこんなにも多くの時間を浪費し、心血を注がなければならないなんて、思いもしなかった。 弁護士が必死に守るものはときに法律や真相ではなく、正義でもなく、お金を払ったクライアント、それだけだなんて、思いもしなかった。
結論:私は理論の面でも、感情の面でも一切の借りはなく、何より合法である。仁義は尽くした。
今日のこの一連の話も、相手方に様々な方向に曲解され法的に難癖をつけるために利用されるだろう。彼らは私の個人Facebookの投稿にも番号をふり、新聞紙面で謝罪するように要求しているくらいだから。でも怖くはない。私の発言には一言の嘘もないから。この道のりはまだまだ長く続くだろう。相手方は何かと手を使って訴訟を継続しようとするはずだ。目を瞑って書状を書いていればお金がもらえる良い仕事だ。わらわら集まってくる弁護士もまだまだいるだろう。訴訟を起こそうと考えている人には家族や子供のことをもっと考えてほしいとも思う。彼らが調べられることにどうして耐えられるのだろう。そんなニュースばかりだ。
この件に向き合っているのは、今や私だけでない。書状の中での無数のいわれのない攻撃は、次第に6人の各メンバーにも向けられるようになった。さらには馨儀までが同じ境遇に置かれているとは思いもよらなかった。妊娠中の馨儀が訴えられるのを見るのは、母親が訴訟に向き合わなければならないのと同じくらい、心がたまらなく痛い。
私は今も創作に励み続ける一人の創作者だ。音楽はいったん魂を失えば、技術しか残らないことをよく知っている。 そして法律も、いったん人間の感情を軽視し、抜け穴が生まれてしまえば、ただの文字にすぎない。
かつてソクラテスは「ただ生きるだけでなく、善く生きなければならない。」と言った。この世に生きるにあたって自分が持っているべきものは、作品や名前だけでなく、善良さであると信じている。 私には心に恥じ入るようなことも、後ろめたいことも一切ない。人情においても、道理においても。 【終】