中国政治に馴染みのない人がドラマ『狂飆』を見る際に役立つかもしれない知識など

2024年6月24日

2023年に歴史的大ヒットを飛ばした張譯(チャン・イー)主演のドラマ『狂飆』が、2024年6月に日本初放送されることになりました。


やったー!

このジャンルは日本で人気の俳優さんが出ていないと難しいかも?と思っていたので嬉しいです。中国では既にトップ俳優の一人だった張譯ですが、『狂飆』をきっかけにファン層を10代まで広げ、いわゆる「叔圈(イケオジ界隈)」の頂点としてアイドル的人気を博すことになりました。近年は映画中心の出演なこともあり、日本に上陸するドラマは実はまだ二作目。この作品をきっかけに日本でも人気が出てくれるのが楽しみです。

一方で、『狂飆』が日本の中国ドラマファンの皆さんに刺さるかどうか不安もあります。というのも、中国での放送時に「話が難しい」という理由で脱落してしまう友人が少なからずいたからです。いずれも中国語の問題はない人なので、このジャンルに馴染みがないために「知っている前提になっている部分」が抜けているからかも?と思いました。武侠ドラマにおいて、独特の世界観や流派の複雑さについていけず、脱落してしまう現象に近い気がします。

そこで、あらすじや出演者の紹介は上記のチャンネル銀河さんのサイトをご覧いただくとして、ここでは作品理解のヒントになりそうな、中国の政治システムや時代背景について少し紹介しようと思います。

『狂飆』制作背景:「政法委」「掃黒除悪」とは

こちらは『狂飆』中国版ポスターですが、右上のロゴ左側の文字にご注目下さい。

指導機関:中央政法委 宣伝教育局・中央政法委 政法情報総合ガバナンスセンター
掃黒除悪重点映像化プロジェクト

「政法委」という機関の指導により、「掃黒除悪」の映像作品を作る重点プロジェクトの一つとして制作されたドラマということです。

法委(中国共産党中央委員会政法委員会)とは、党の中央(国レベル)の組織のうち法の執行全般を司るところで、裁判所、検察、公安(警察)などを監督しています。 宣伝教育局、政法情報総合ガバナンスセンターはそれぞれ、法に関する政策や理念を宣伝したり、インターネット上の世論を分析・管理したりする機関です。

「掃黒除悪」とは、2018年から政府が大々的に打ち出しているキャンペーンで、黒社会(チャイニーズ・マフィア)をはじめとする社会悪を徹底的に追放しようというものです。

掃黒除悪と並ぶ現政権の代表的なキャンペーンとして、習近平国家主席が2013年の就任とほぼ同時に打ち出した「反腐敗」があります。政府高官から地方の末端役人まで「虎も蝿も始末する」という触れ込みで、実際に多くの役人が汚職などの罪で処分され、失脚しました。

「掃黒除悪」と「反腐敗」は表裏一体の関係で、黒社会が跋扈する裏には現地の政府との癒着があり、黒社会を排除しようとすれば、自ずと身内にメスを入れ、血を流す必要が出てきます。『狂飆』も、警察と黒社会との戦いであるとともに、その裏にある警察内部や地方政府の腐敗との戦いでもあります。

「身内にメスを入れる」と書きましたが、2021年に実施された「政法隊伍教育整頓(政法組織教育健全化)という施策の成果を宣伝する目的もあったようです。これも政法委が身内である警察や検察などの内部に容赦なく切り込み、風紀を正そうという試みで、『狂飆』でもこの表現がよく出てきます。

「掃黒/反腐敗ドラマ」というジャンル

これらの政策を背景に、「掃黒除悪」「反腐敗」を描いたドラマも一つのジャンルと確立しています。このジャンルで『狂飆』と同様に社会現象になるほどヒットしたのが、2017年に放送された『人民的名義』です。

こちらは最高人民検察院の指導で作られたドラマで、切り口は検察の反汚職局による政府の汚職捜査になっていますが、当然ながら現地の黒社会が絡んできます。『狂飆』同様に普段ドラマを見ない層までブームが波及し、多くのミームが生まれました。

中国では、『狂飆』や『人民的名義』のように、国や党の機関が重要な政策やその成果の宣伝を目的として、ドラマや映画を指導・製作することがあります。このように書くと「プロパガンダ」「洗脳」といったネガティブなイメージが浮かぶかもしれません。しかし、エンタメ作品として優れていなければ誰も見ないどころか、宣伝に逆効果になってしまいます。実際に、『狂飆』でも現代(2021年)パートの一部のシーンの“説教臭さ”に対するネガティブな評価が少なからずありました。

『狂飆』も『人民的名義』も、白か黒で説明できない複雑性、悪に手を染めるキャラクターの人間性を重層的に描いたからこそ、国民的人気を博す作品になりました。『狂飆』は一部で「黒社会宣伝ドラマでは?」と揶揄されるほど、黒社会の描き方が魅力的です。まぁそれでも私は警察推しですけどね!!!(クソデカ声)

時代背景:急速な経済発展でGDPが約15倍

『狂飆』の物語は、2000年・2006年・2021年という3つの時間軸を移動しながら語られます。この期間の中国がどのような時代だったのか、次のグラフを見ると分かりやすいかもしれません。

このグラフは1990年から2022年までの、中国と日本の名目GDPの推移を比較したものです。中国の2000年と2021年を比較すると、実に約15倍という急速な経済発展を遂げた時代だったことが分かります。

『狂飆』の舞台となっている京海市は架空の都市ですが、ロケ地は広東省の江門市で、劇中の会話から元々漁村だったエリアであることがわかります。次の画像は、同じく漁村から経済特区として発展し、全国トップ5に入る大都市となった広東省深セン市のものです。一番下の画像が1998年、一番上の画像が2020年と、ほぼ『狂飆』の時代背景と重なります。

同じ期間で見ると、1990年の時点で既に世界二位の経済大国だった日本では、都市の外見上の変化はあまりなかったかもしれません。いっぽう中国では、このように農村や漁村から高層ビル群になった場所がたくさんありました。『狂飆』でも、汚職幹部が「京海の夜景は実に美しい。20年前はボロボロの街だったのに。」としみじみする場面が印象的ですが、急速な発展の過程において黒社会や汚職党幹部がどのように富を築いていったか、非常に臨場感を持って描かれています。

地方政府の権力関係:役職いろいろ

最後に、私が初めてこのジャンルのドラマを見た時に混乱した、役職名の理解に役立つかもしれない図をご紹介します。ご存知の通り中国は中国共産党による事実上の一党支配体制で、党の下部組織が議会や政府を指導・監督する構図になっています。第1話で出てくる2021年時点の主な登場人物の役職を入れてみると、下図のようになります。

孟徳海・安長林の2人がそうであるように、公安から地方政府や党委員会への昇進ルートがあることがわかります。このような状況で党幹部の不正を暴こうとすれば、出世の道を絶たれる恐れがあることは想像に難くありません。また、2000年時点の孟徳海のように、市の公安局長が副市長を兼任することも一般的です。

これから先は余談ですが、第1話で出てくる主人公・安欣のプロフィールを見ると、2021年時点では共産党員になっています。だからといって物語に大きな影響があるわけではないのですが、個人的に推しが党員バッジをつけて幹部ジャンパーを着ていると異常に萌えます。(下画像のスタイル)