8年目の備忘録
Twitterが中華オタク趣味のメインツールになってから日常的にブログを書かなくなり、「次の長期休みこそなんか書くぞ」と100回くらい思っているうちに、今日で来中丸8年になりました。
8年………!?
当初のりんちぇとの出会いから中国に住むまで(6年)より長い時間が経っているということにドン引きです。その分しっかり歳も取りました。
お陰様でこの8年、いろいろありつつ仕事も趣味も充実した生活を送ることができています。
本帰国予定も今のところないし、特に直近で何か動く予定があるわけでもないんですが、ふと昔のブログを読み返して当時の自分の考えていたことにハッとさせられたりするので、たまには何かしら残しておいた方がいいと思うんですよね。
なので最近フォロー頂いた新しいフォロワーさんへの自己紹介も兼ねて、こちらに来るまでの振り返りと、来てからのことと近況も少し、メモ的に書いておくことにします。
中華世界との出会い〜来中
初期からのTwitterフォロワーさんはご存知かと思いますが、私はもともと馬乗りです。
大学4年間はひたすら競技にのめり込み、ほぼ厩舎に住み込んで全国大会まで出ましたが、勉強をほっぽらかしていたので4年で1年の前期分しか単位がありませんでした。当時は馬を続けることしか頭になかったので、「退学して馬乗りになります。」と退学の意思を伝えたところ、学部長から「ウチは大阪の大学やから、お笑い芸人になるために退学してNSC(※吉本の芸人育成学校)に行く人が多いねん。でも大体1〜2年で戻ってくる。だからとりあえず休学にしとき。」という絶妙に説得力のある話をされ、休学手続きをして前職場で働きはじめました。
前職の話は長くなるので割愛しますが、今思えばすごい世界でした。
高校や大学の同期が普通に就活して就職して出世していく中、鼠やムカデ、時には猿が出没する厩舎裏のプレハブ小屋に住み込み、静脈注射や浣腸などの応急処置、トラックやホイールローダーの運転、落鉄処理など、その後の人生で何の役にも立ってないし、今後立つ予定もないスキルを色々と手に入れました。
そんな前職時代、仕事もプライベートも色々どん詰まってた時期に起きたイベントが、全てのはじまりである“りんちぇ”ことジェット・リー(李連杰)との出会い。
なんとなくTSUTAYAをブラブラしていてチャン・イーモウ監督『HERO』のDVDを手に取ったのが全てのはじまりでした。それまで中国といえば炒飯と麻雀くらいしか認識のなかった私が沼に引きずり込まれることになった歴史的な瞬間です。2008年の秋のことでした。
それから狂ったようにりんちぇの全出演作を鑑賞し、ファンサイトに入り浸る日々を経て、そろそろ若気の至りも落ち着いてきた翌2009年秋に復学。
何年かぶりの第二外国語の中国語初級授業(周りは皆1年生)で、先生からの「这个暑假过得怎么样?(この夏休みはどう過ごしましたか?)」という質問が一ミリも分からず固まってしまい、めちゃくちゃ恥をかいたのを今でも覚えています。あの時の中国語力、大学1年生レベル以下でした。
そんな恥ずかしい瞬間から、空前の推しらぶパワーで中国語学習をすすめ、半年後には中検3級取得。2010年の夏休みに初めての中国、ちょうど万博が開催されていた上海へ降り立ちました。
今回上海に行って、
ひとりで色々歩きまわって、生の中国の息遣いを感じて、
得るものがたくさんたくさんありました。必ずもっかい、いや何百回あすこに行く!!
そのために、中文学習もっともっとがんばる!!
そのために中華電影もっともっと見る!!
今の時代なら「上海感動24歳」みたいな名前をつけて笑われてそうなアツさですが、しがない田舎の馬乗りだった当時の自分には衝撃的すぎる体験で、はっきり「いつか中国に住みたい」と意識したのがこの時でした。
それから宣言通りに中華エンタメオタクとしての活動を深めつつ(※ただ毎日ドラマ見てただけ)、中国語の勉強をコツコツと続けました。朝から晩まで肉体労働しながら休みもほぼない状態で、今振り返ると本当にえらかったよ…。
そして初渡中から4年後の2014年、前職の上司含む周りの後押しもあり、いよいよ満を持して中国に住むことになったのでした。
現職は、学生時代から続けてきた大好きな仕事です。
この仕事がなければ今の自分はありません。別れはつらいです。でも、中国との出会いがなくても、今の自分はありません。
葛藤もありましたが、一度しかない人生、
「やらなくて後悔」するより、「やって後悔」すべし!
と、周りから背中を押してもらって、突き進むことになりました。
最終出勤日にはスタッフや教え子を集めて送別会を開いてもらい、子供から大人まで50名以上を前にした最後のスピーチで「日中の架け橋になりたい、中国への偏見をなくしたい。」と号泣しながら話しました。
これも今だよ「架け橋www」と嘲笑されそうな話ですが、その時は自然に涙が出るほど本当に心からそう思っていたし、8年経った今も根底は変わってないです。
とにかく若さいっぱいの熱い想いと希望を秘めて上海の地に降り立ったのが8年前の今日でした。
あっという間の8年
こちらに来てからは前職と1ミリも関係ないことをしています。
ずっと特殊な業界にいたので社会人としては生まれたてのヒヨコ状態でしたが、幸いなことに上司に恵まれそれなりに仕事ができるようになり、入社1年くらい経ったタイミングでに「管理職にならないか」と言われました。
その時の私の反応は「なりたい気持ちは山々ですが忙しくて趣味の…推しを推す時間がなくなるのでちょっと(原文ママ)」でした。いや、出世より推し活を優先するオタクの鑑すぎん…? というのは冗談で、今振り返ると結構なゆるふわ発言なんですが、当時はとりあえず中国で生活できるのが嬉しくて、最新の映画を公開後すぐ見られたり、舞台挨拶に行って出演俳優に生で会えたり、とにかく現地推し活をエンジョイしてたのです。
それでも結局、上司の言葉に勇気づけられて挑戦する道を選びました。それは見たくない自分のダメなところとひたすら向き合う地獄のはじまりでした。何度か死ぬかなと思いましたが、「人間はだめになると推しにすら興味なくなる。」というのを身をもって体験できたし、そのお陰で大概のことでは食いっぱぐれないスキルや人脈、時間的・経済的自由や安定したメンタルを手に入れて、結果的に今まで以上に趣味に邁進できるようになって本当によかったです。
我ながらすごくよくがんばりました。褒めてくれてよいです。
これから???
冒頭に書いた通り、現実世界で何かすぐ動く予定はないので、もうしばらく上海にいると思います。
趣味の方では、最近日本で今までになく中国コンテンツのファンが増えてきていて嬉しい限りです。私もハマりたての頃は、中国語のインタビュー記事や動画を訳してくださる先輩の方々に助けられてきたので、同じように少しでも翻訳や解説をしていけたらなと思っています。
また、私も中国コンテンツにハマったことをきっかけに中国語を勉強し、実際に中国に住んで仕事をするようになったので、同じように「いつか行きたい…」というフォロワーさんのツイートを見ると勝手に強火の応援団になっています。
もし本気で中国に行きたいと考えていて、不安なことがある方がいらっしゃったら、私の経験や知識でよければシェアしますのでお気軽にDMください。いつか行くので!という宣言でも構いません。(実際に宣言の後、こちらに来てお会いした方もいらっしゃいます!)
いっぽう、中国エンタメの裾野が広がったことにより、中国人や中国という国に対する偏見や、時には明確な差別ツイートを目にする機会も増えてきました。「偏見をなくしたい」とか言ってたくせに、いざ身近でひどい差別発言を目にした時に声を上げられず、大変情けない思いもしました。少なくとも自分の好きなジャンルでは毅然と対応できるようにありたいと願いつつ、いざとなると足がすくんでしまうのを何とかしたい。します。
実際のオタ活での2022年7月11日現在の目標は、推理バラエティ番組『明星大偵探』を布教することですかね。沼が深すぎて色々とっちらかってるのですが、これも近いうちにブログでまとまった布教記事を書きたいです。
仕事も引き続き頑張って新しいことをしていきたいし、2020年から2年半帰れてない日本にもそろそろ帰りたい。色々やりたいことばっかりで頑張れよって感じなんですが、頑張りますね(適当)
ちなみにアイキャッチは一昨年、中国西北地方の広大な草原で現地の馬乗りのおじさんと2人だけで旅に出た時のものですごく気に入っています。去年は1年まったく馬に乗らずに終わってしまったので、今年は何とかして乗りに行かなければ…