吳青峰小作文翻訳(2021.3.21)
QQ音楽、Instagramで一部のワンパターンなコメントに対する嫌悪感を発信したことに関する文章。「嫌だ」という発信に対して意見する人の気持ちは個人的にはよくわからない。

原文cr:Instagram – imqingfeng
自分の嫌いなことを口に出しただけなのに、それもただ嫌なことから逃れたいなってだけなのに、どうして「嫌なら見なければいい。」とか「何でわざわざリプライするんだ。」みたいな反応が出てくるのか、ときどき本当にわからない。
「見たくなければ、見ないことだってできるでしょ。自分が見なければ済む話じゃん。」
→これをやろうと思うと、一切何も見ないようにするしかないね。でないと、たまにチラッと覗いただけでも見えてしまうから。たまたま覗いた友達のアカウントのページにすらある。あなたは僕じゃないんだから、この手のコメントがどれだけ大量に、頻繁も出てくるか分かるわけがない。「見なければいい」なんて選択肢あると思う?
「なんでわざわざ返信するわけ?」
→うん。僕はこの十数年ずっと、みんなと友達のような関係でいたいと思ってる。もし不愉快なコメントを見ても反応しちゃいけない、気分を害しても正直に言っちゃいけないんだとしたら、僕は確かに訓練が足りてないわ。僕はずっと「真剣になったら負け」って思想に染まりたくないと思ってきた。みんな、本当に「真剣じゃない」対応をされたいの? 僕は自分の行為が「他人の言論を気にしすぎ」だとは思わない。むしろみんなに「音楽を通じて集まった友達」であってほしいからこそ、友達レベルの関心を寄せてきたんだよ。ただ、この「友達のような関係でありたい」という出発点は確かに僕が夢を見すぎてたと思う。
昔の僕は今よりもっと、今の10倍くらい本心を打ち明けるのが好きだった。(僕と知り合って長い人達は分かるよね) それに上記のロジックからすると、僕のそういうリプライで気分が悪くなったなら、「見なきゃいい」し「何でわざわざ返すの?」 でしょ。僕にとやかく言ってくる人達自身、同じことをしてるわけじゃん。矛盾してるよね?
みんなそんなに心配しなくて大丈夫だよ。最近、筆舌に尽くし難いネガティブな事があまりに多くて、ずっと本の世界に没頭してたから、久しぶりに出てきて「世界は元々憂鬱に満ちたものだ」ということをを忘れてたのかもしれない。もしくはこの歳になっていきなり大量の悪意を一気に受けたせいか、あらゆることを悪い方に考えたり、全ての人や物を前みたいに全身全霊で無条件に信じることが出来なくなってるのかもしれない。いずれにせよ、自分で何とかするしかないね!